ふと読むと惚れ惚れというべきか、しみじみというべきか、読み進める自分に気づくような文をしばしば書く人だなー、このblog主氏は、という個人的な感想。
該当書は未読。多分このまま当分暇がなさそうなので読まないと思う。
騒動の震源地の梅田さん発言のはてぶ云々の件も含めて、しかしこの一連の出来事は色々な意味で少し興味深い気もしつつ、あんまりにも狭いフィールドで牌を取り合うような話にも見えてなんだかなんだかなーという気も一方では少ししてしたかも知れない。(と言いつつ関連エントリーをしている。)
でも、そこも含めてネットの日本語圏は「深さ」の意味では成熟出来ない方向にますます梶を切りつつあるのかなー。。。?という感想も出てくるし(だから読んではいないけど、該当書で述べられていると思しき危機感には僕も共感するかも知れない)、まるで楠さんは「もうしょうがないでしょー、大事な部分の話としては英語で話さなきゃしょうがない世の中になるのは不可避だし、だけど日本語は日本語として普通に残るだろうし、残らないとしてもだからなんだとか議論してどうにかなる問題なら自ずとそうなるわけで、社会全体がどうなるのか?なんていう不安は理解出来るとしても、だからと言ってその辺の部分をコントロール出来ると考えるのが前時代的なのであって、なるようにしかならないでしょ」とか仰るようにも思えたんだが、正直僕もそんな気もしてしまうところがある。色々考えると一体どうなるんだろうとか、日本人ってなんだろう、とか、それでいいのだろうか?とか多分これはいつの頃かの僕自身の発想パターンが影響して自動的に話が(僕の脳内で)そう繋がっていく部分があるんだと思うけど、それはそういう諸々を杞憂する僕もいるのだが、杞憂したところで何が出来るのかを思うと、身を任せるしかないというか、任せるか任せないかの僕の意志にかかわらず任せる結果以外は手にしようがないことを思うしかないというのが経験論的に僕の結論なのかも知れないとも思う。誤解のないように書きますが、僕は日本語がどうなるかなんて全く予想つかないし、予想することが無意味かもしれないという意味合いを述べているのであって、それ以上を言うつもりはないですアシカラズ。(色々な思いに捕らわれたり、思いを馳せたりはするが、公に断言出来ることはないです。ご存じの通り、そんなレベルにいない。と言う言い方もなにかもですが。)
時代ってホントに凄いし、おそろしいものだとしか言いようがないというか、さからえないものなので、そこに如何に与して楽しむか、前進するか、以外は手の施しようがないというのが実際のところかもなー。。とか思いつつ、明日もやれることから頑張ります、はい。
とても興味深い企画が立ち上がっているのを発見。
詳しくは、座間裕子さん(NewYorkの即興実験音楽のレコードレーベルに携わられておいでで、そのシーンに素晴らしい人脈をお持ちで、執筆・写真・翻訳等でもご活躍なさっている方)のblogのこちらの記事をお読み下さい。
個人的には、海外国内のものを合わせた評論を日本人向けにも同時進行で発信する企画も期待したいです。簡潔に言い過ぎるのも語弊があるかも知れないですが、やはり健全な(社会性を獲得した)創作表現活動シーンのためには健全な評論文化というものも必要な気がするし、リスナーの裾野を広げるための呼び水にもなるんじゃないかということで。(自分でやってみろ?!^^;)
何年経っても折りに触れて不自由なことこの上なく思ってしまう話だが、僕は筋金入りというか永らくの近眼だ。視力が低下し始めたのは小学生の頃だ。(良いタイミングを作れたら、まーじーでレーシックやってみるかも)
先日久々にコンタクトレンズを作ろうかと思い、眼科で検診を受けた。考えてみるとちゃんと眼科として開業している場所で検診を受けるのはだいぶ久しぶりだったかも知れない。もう相当の間、コンタクトやメガネを作るときも、お店の併設の簡易的な診察所で視力検査のみを受けていてその他の検査は一切受けていなかったことを言っているわけですが、ともかくも、そこで先生からいきなり言われたのが「うーん・・・緑内障の疑いがあるなー。」という一言。
疲れもストレスも目に出やすいタイプでもあるかも知れないという自覚もあるので、割りと無茶をしていたかも知れないこのところの生活を考えたりすると、「むー。。そういうことも起きるものか・・・」とか咄嗟に色々思いつつ、当然困惑もしつつ、でも妙に冷静に「そうなのかー。。」とか受け止めていた気がするのだが、気になる点は取りあえず質問しつつ先生の説明と(家で自分でも調べたりして)併せて分かった点を書くと
検査について
●現在主流の緑内障の一番簡易的な検査(のひとつ?)は(機械というか専用のカメラというか、を使って)眼底(がんてい)の様子を見る検査のようだ。
●眼底とは、眼球の後ろというか水晶体とか瞳孔から見て真裏の部分のことです。網膜なんかも含まれる部分ですが、この眼底には乳頭と言われる部分もあって、まず主にそこの様子を見るらしい。眼底(視神経)乳頭とは、水晶体を通して網膜に映る映像情報を脳に送るための視神経の束が眼球の裏側(真裏じゃなくてちょい下気味の裏から斜め下に向けて視神経は伸びている)にはくっついていて、その部分のことです。
●目の正面から眼球をのぞき込むと、眼底乳頭は円形をしている。正常な眼底は綺麗な二重の円形、つまりドーナツ状になっている。(検索するとwebでも色々写真が見れると思います。)まあ名前からして分かるように、立体的に言うと、多分形状的にまさに乳頭みたいな感じなんだと思う。
●緑内障の場合この「ドーナツ」が大きくなったり、いびつに歪んだりする。特に中心部分、つまり「ドーナツの穴」の部分が大きくなって「ドーナツの縁の部分」が欠けてきたりするらしい。
●僕の場合右目の検査映像がまさにそんな感じだと言われた。実際、映像も見せて貰ったが、なるほど、その通りの感じに映っていた。(うーん、、、憂鬱だ・・・。が、、事実は事実なんだし、そこに関しては何を言っても仕方ないので、なるべく前向きに捉えよう。。まだ「疑い」の段階でしかないわけだし、、まず必要なのはちゃんとした検査を受けてみることなわけで、、とか考える。ちなみに緑内障はまだ分からない部分も色々ある病気らしいです。)
緑内障について
●一般に中年以降の病気(わらえねーwはぁ。。。wとひたすら思いたくなる自分を感じて、ある意味一番そこの部分で自分で自分を忌々しく思ってしまったwまだ全然若いつもりで頑張れないと色々計画が狂いまくる。。。w
●40代以上の5%が患者らしい。(以下に書くような状況もあり、もう少し多いという説も。)年齢が上がるほどに患者率は上昇する。つまり加齢と関連性のある病気でもある。
●端的言えば視野が欠けていく病気。ご存じ「盲点」が拡大していくような感じで症状が進行するみたいです。
●しかし、案外人間の目は「視野の欠け」を「両目」と「目の動き」を使って補助してくれてしまうものなので、かなり進行しないと自覚症状が出ないケースが「もの凄く多い」らしい。(患者の8割が自身の病気に気づかずに生活しているという話もある。)つまり無自覚の内に進行してしまうとても怖い病気でもあるということです。
●これはwebで知った話だが、上のような状況があるにもかかわらず一般的な「定期健康診断」とかで緑内障の検査を取り入れていないケースも結構あるらしく、問題視されている様です。
●視神経は一度ダメになった部分はそれっきりになる。つまり、失われた視野を取り戻すノウハウは少なくとも現段階では解明されていない。「緑内障の治療」というのは、「進行を抑えるためのもの」(でしかない。。)ということです。現状では進行を抑えることしか出来ないわけだが、放置するとどんどん進行するケースがほとんどなので、「最悪、失明に到る」ということらしい。だから早期発見早期治療の重要性は決して少なくない。ちなみに(当然というべきか、)研究は進められているので遠くない将来に治癒法が確立される可能性はあるみたいです。つまり、希望は失ってはいけないのでちゃんとやれることをしましょうっていう話です(なんでもそういうことかもなぁー。。としみじみ)。
●原因・症状はいくつかのパターンがある(ご興味をお持ちの方は、検索するとかして調べてみて下さい。それと、ご自身の症状の判断は医師の診察のもとでないと行えないと思うので不安お持ちの方は是非検査を。)のだが、この辺は解明されていない部分も多い。一般に「眼圧」との関連性が言われているので、緑内障の診断を行う場合、必ず眼圧測定もする。(眼圧が高いと乳頭が圧迫されて視神経に悪影響が出るみたいです。)しかし、眼圧が正常値でも緑内障の症状が出る場合もあり(日本人に多いパターンとされるらしい)、「緑内障の検査」というのは複合的に検査しなければならないのが現状である。(なるべく「新しいメソッド」「高度な判断」をキャッチアップ出来ている病院・医師に掛かった方がよいと思います。以下に関連記述をします。確かな情報は自己責任で収集なさった方がよいことも併記しますが。)
●いわゆる「視力」とはあまり(ほぼ?僕が最初に掛かった先生は「ない」とだけ言っていた気もしますが「言葉の綾」的な問題もあると思うので、ニュアンスは難しいのかも知れないです。)関連性はない。近視の人がなりやすいという傾向はあるが(以下関連記述あり)、例えば「2.0」見えていてもなる人はなってしまう。
治療について
●症状に併せて医師の判断で個々のケースに対処するみたいです(当たり前かもですが)。ここまでにも書いたように、根本的な究明が未だなされていないらしいので、積極的な対処法はないみたいですが、一般に眼圧を下げるための投薬治療とか手術があるみたいです。手術のケースについては僕の場合取りあえずはありそうもないというニュアンスだったので、投薬のケースについて軽くさらってみた限りのことを書きますが、とりあえず現段階の医学的な立場では、「治療は一生続く」というのがまず第一点。ここまでに書いたとおり「元には戻せない」「放置すると進行する病気」だということなのであり、つまりそういうことなのでしょう。処方された薬を医師の指示をしっかり守って服用することがとても肝心らしい。服用のタイミング・容量をきっちり管理し続ける生活を(一生、もしくは視野を取り戻す療法が確立されて、それを施術してもらうまでは)送り続けなくてはならないっていうことです。
●しかし視野の喪失以外には症状のでない病気なので(急性の場合もあって、その場合は頭痛とか気持ち悪くなったりとか目の痛みとかが出るケースもあるそうですが、長期的な意味では他の症状は認められていないってことみたいです)定期的な通院(1〜3ヶ月に一度とかが多い?)、薬の服用を正しく行いつつ、なるべく健康で規則正しい生活を心がけさえすれば問題ない(悪化は起きにくい。ほぼ起きない?)。
とりあえずこんな感じでしょうか(補足訂正するかもですが)。
さて、以上のようなことを頭に入れつつ、「視神経がやられてしまう」までの過程に起こりがちなこととして、血行の悪化によって周辺の血管の血流が滞りがちになって諸々の充分な供給が行われなくなるケースが多いという話も耳にしたのですが(こことの関連性は分かりませんが、糖尿病の人が掛かりやすいというのもあるらしいです)、血管をきれいにして「滞り」を取り除けば症状が改善されるとかいう(多分そこまでの言い方になると医学的には認められていない話になってくる様に思うけど、詳細は分かりません。もしあなたが「緑内障」なら基本的には「信頼出来る」医師の判断に従うのが一番だと僕は言うと思いますが。)話もあり、もし僕が本当に緑内障だったとして、食生活も含めて徹底的に生活を変えていけば元に戻るんじゃないかとか無理矢理にでも思いこみたい気持ちになったりとか、まあなんにせよ規則正しい無理のない生活というものを送らないと(視力の上に)視野(までも)を失うことに繋がっていくのかも知れないと思うと、色々自分が思ってきた計画が狂いそうだというか、生き方をまた改めて考え直さなきゃ行けないのかも知れないなー。。。でも、結局最後は死ぬのが人間なんだし、失うモノを怖がりすぎても良くないかもだし、「何を選ぶか」という意識をこうやって試されるということかもな。。。とか、やっぱりそういう「可能性」っていうものを提示されてしまう経験をすると色々考えてしまうものだなー。。とか色々物思いに更けてしまうという経験をしたわけです。あと、まあ多少不健康な生活になりがちな面はあるけど、禁煙もしているし、食事もまあまあ考える生活をしているし(でも良好とは言い難いかもだけど、この辺の基準って結局あってないようなモノという気もするので結局よくわからないのですが)、定期的にしっかりと、とは言い難いものの一応運動もしているし(なるべく歩いたり走ったりとかはしてる)、そもそも体力というか健康というか、基本的な身体のつくりというか、には(色々なお陰様もあって)もともと一応の自信があったので(ある意味取り柄がそこしかない様な「気分」もある)、その辺の意味でショックがあったことも否定出来ない。遅まきながら見えてきたモノもまた最近改めてあったりもするので、腰を据えてこっからいっちょ踏ん張るかー的な気分もあったので、そういう意味でも「まじかよ・・・!!?」というのは正直ありつつ、俺ってやっぱり身の程知らず過ぎなのかなー。。。と畏れを思い知らされる感覚というか、そういうのを凹むっていうのかもですが、まあ、とにかく色々思うところはあったみたいです。基本的には前向きにまとめていかないとますますダメになるなと思ったりもしつつ、必要なだけ落ち込んでおくのも切り替えるためには大事かもだし、とか思ったりしつつ。勿論、周囲の気遣いにも痛み入りました。ありがとうございます。
さて、輪を掛けてぐちゃぐちゃな雑文を挟んでしまいましたが、上記のことも調べつつどこの病院もしくは先生に診て貰うか、ということについては色々調べてみたのですが(これはwebとかだけじゃなく周囲の紹介や情報にも頼らせて頂きました。重ねてありがとう。)、とりあえず薄いけど「つて」もありつつヨサゲだったのが赤坂の北沢病院というところです。(病院のホームページが見あたらず。人気ありすぎてwebで告知しても無意味なくらいだから、なのかもしれない。)院長が緑内障の権威らしく全国から患者がやってきて初診の場合の予約の確保も困難な病院らしい。実際電話してみるとすぐには予約出来なくて決められた期日に数ヶ月先の予約をとるために改めて電話しないといけない様子だった。で、ここはもし僕がホントに緑内障だった場合で、通院する病院に違和感とか不安とかなんとかがあった場合に改めて検討する候補の筆頭ということにして、他を検討。東大病院も良いらしいが、専門外来で診て貰えるまでの手順が少し面倒(医師の紹介状を貰うか一般外来でまず診察してもらわないといけない)みたいなのでここも保留。専門の開業医だと四谷にも良い病院があるようだが、ほんのちょっと遠いのと、ここも予約取るの大変そうな予感(w)で保留。(この辺の地域だと都立大に開業医で緑内障に力を入れているところがあるみたいです。あと、駒沢公園の隣の国立医療センターの眼科も良い先生がいるらしい。のだが、ちょっとだけ日頃の活動範囲から外れる。近いから関係ないと言えばそうなんだけど多分この先当分輪を掛けて忙しい生活になると思うのでなるべく地の利も優先したい。とか考えた。細かく言うともっと色々近場にも緑内障対応の眼科が点在してるっぽいのも分かったけど、なるべく早めかつ詳細な診察が期待出来る病院で、今後の可能性を含めた僕の行動範囲内にあるところを(つまり都心ということかも)出来るだけ見つけたかったのでなるべく念入りに情報を集めた。)で、知人の薦めもあって場所的にも悪くない原宿のオリンピア眼科(駅前のほうじゃなくてユナイテッドアローズ本店のすぐ側にある大きめの眼科専門病院)に電話してみると数日で診て貰えるとのことだったので(緑内障の検査は特殊な機械も使うので、ほとんどの病院で予約が必要みたいです)、そこに決める。そして、今日診察して貰ってきたのですが、、、「問題なし」という診断でした。いやー。。良かった。。!まあ、正直、やっぱりそれ(この年齢で、この俺が(w)緑内障)はないだろー。。とか思ったりもしていたので、やっぱそうか。。。!とか思ったりもしたのですが(現金といえばそうだけどw身体の感覚って多分あるんじゃないかと思う。僕はそんなには鈍感じゃないと思っていたので、ちょっとそこでも安心。でも今回色々かんがえさせられたのはそれはそれとして良い経験な気もしますが、、、ちょっとだけ最初の先生が忌々しい。。。w)ホント胸をなで下ろすとはこのことでした。ちなみにどうして今回のことが起きたかという説明もとても分かりやすかったので書いておきます。
●最初に書いたように僕は子供の頃からの近視です。正常な眼球というのはほぼ正円に近いきれいな円形らしいのですが、近視の人の眼は眼球が前後に伸びてしまった楕円の状態になってしまっているそう(とか自分の目のことを書くとなんか改めて嫌だなw)。で、上記の通り、視神経の束は眼球の裏から斜め下へと伸びる感じで、「真裏」ではなくてちょっと下気味の部分から繋がっているわけだが、眼球が前後に伸びるとこの結合部分に歪みが生じるわけです。こうやって生じた歪みは緑内障の結果生じる歪みと見かけ上は区別がつきにくいので、眼底の映像だけで判断すると緑内障と取り違えるケースがあるそう。(オリンピアの先生の口調だと、でもそういう判断を性急に口にするのは(医者として)ちょっとどうだかね・・・w的なニュアンスがあった気もする。。。w)僕の場合眼圧も正常値内で視野検査の結果も問題なし、眼底を見ても近視特有の歪みに見えるし、自覚症状もないようなので(ないと感じているので、そう僕が言った。まあ眼は強くないし、ドライアイにもなりがち、疲れて見え方がおかしくなるとかは少なからずあったりするので胸を張って言いにくいけど、視野が欠けるとかは全く考えた(=感じた?)ことがなかったというか。言われちゃうと不安になった面もあるんだけど。。w)まず違うでしょう。という話でした。しかし(眼底が)そういう眼ではあるので、今後も同じ様なことを言われる可能性があるし、近視の人がかかりやすい病気ではあるし、例えば、50代とか60代にどうかは断言出来ないので(w)年一回とかの定期検診は薦めると言われてしまいました。まあ、そりゃお医者さんはそう仰るでしょう。でまあ僕も今回色々考えてしまった経験から言って、なるべくそうしようかなと思いました。微妙に思うところもあるのだが、口にはすまい。(じゃあ書くな?)
ともかくも、しかし、思わぬ形で改めて「年齢を重ねること」とか「生きること(死ぬこと)」の意味というかなんというかを今回考える機会を持てたかなという気もします。正直このところ色々集中しなきゃならない状況があるので、ちょっとペースを乱してしまった感もあり、こんなときに、なんだったんだよ!的ななんだかんだもあったのですが、良い経験と言えばホント良い経験だった気もします。普通にやっていると普段考えないことってホントあるなーとありきたいの言い方だが、そう思う。でもだからといって色々考えすぎて迷っている状態が良いとは言えないと思うし、結局色々覚悟も出来た上で、腹を据えてというか腰を据えて、どうやって死ぬまでの時間を自分のために(世の中のため人のためっていう言い方でも良いけど、そこを含めた上でやっぱり自分のためなんだと思う)上手く使うかって言うのはものすごく大事な問題だなー。。生きていくって言うのはそういうことでしかないのかもなーと改めて思いました。まあだからといって自分自身で準備してきた内容次第とも相俟って出来ることと出来ないことはあると思うし、そういう準備のために毎日積み重ねる心がけの結果で未来は変わるのかもなとか思ったりもしますが、命は燃やしてこその命じゃないかなと思います。具体的にどうすることが燃やすことなのかは個々で全く別々だと思うので、だからどうだとかはここで言えることじゃないですが、前進するには、覚悟して希望を持ち続けることしかやりようがないということは結構ホントのところなんでしょう。というか希望を失うことが一番恐ろしいことなんじゃないかなと思ったのかも知れません。覚悟して無茶をやれるギリギリの限界を上手く見極め続ける勝負みたいなところも世の中ってあるんだろうな、、とも、思ったり。にしてもなにがしあわせかは人それぞれなんでしょうけど。
上手く精進していきたいものです。
という僕の緑内障疑惑(バカヤロー!w)騒動記でした。こんなこと書いてる場合でもない気もしつつ、一応備忘録もかねて殴り書き。
大切に、思い切りよく、腰を据えて、大胆に、粘り強く、毎日を積み重ねたい。(何某風)
すごいなこれ。こういう諸々が当たり前になっていくと未来予想図とかもうなにがなんだか。。
日本の音楽好き達にもう少しその真価を評価されても(その存在を知られても)良いかも知れないギタリスト市野元彦さんの新譜が発売になっています。
アルバムタイトルはエントリータイトルの通り。10月から配布されているタワレコフリーペーパー「intoxicate」にも関連記事として市野さんのインタビューが掲載されています。渋谷店で今日見た時点でも結構まだ(intoxicateが)積まれていたので興味持たれ方にはご参考まで(しかしホント個人的にはタワレコとかから足が遠のいてるなー。。とか久々に行ってみながら思いました。特にこのところの生活スタイル的にも街をほっつき歩く暇がなくなっているのとか、遠い昔にタワレコマニア過ぎたのもあることを思いつつ、ですが。)。肝心のアルバムも勿論入荷されてました。そうですよ、寧ろこちらこそご参考まで。
世間的には圧倒的に、「密やかに」リリースされたっていう言い方になるのかも知れませんが、、その言い方で言うならば、密やかに日本発の名盤がリリースされていますよ、日本全国のディープな音楽好きな皆さん。とか書いておきます。
印象論でしか書けないのは申し訳ないのですが、言い訳がましいことを書くと、印象論で表現しても良い日本では希有の音楽を奏でる人の現在進行形の一人が市野さんじゃないかなと思ったりもしています。空間性というか音像(音風景?)の完成度の高さもあっての話だからです。「独自性」なんて言葉はそうそう易々と使えない代物だと思いますが(でもコマーシャリズムの世界では易々と使われてしまうし、そこら辺のジレンマは僕自身も抱えるしんどさにも繋がるかも知れないっすが)、「独自性」っていう言い方をしても良い領域に足を踏み入れている「サウンド」がそこにはあると思います。
ちなみに、カタルシスというか、張り巡らされた伏線がありつつ押し迫ってきて必要充分なだけ盛り上がる部分も僕は市野さんの音楽にも充分感じるかもです。(言い方がまどろっこしいのはこの辺の言葉のニュアンスを使いこなす難しさを思うからです。)ただ常に押しつけがましさからは距離を置いているのが(インタビューでも仰るように)市野さんのスタンスだと思うし、「あざとさ」の対極にあるような音楽を標榜してらっしゃる様にも感じられるので、濃い味の外食ばっかしちゃってたり、化学調味料が「美味しい」の基準になっちゃってるような時点で(驚くほど圧倒的な割合で世の中のクリエイティビティ《特にプロフェッショナルの場合です》はそういう形でしか具体化されていない気もする。そこから逃れる難しさはとても理解出来るし、それ以前に勿論というべきか、それはそれで一概に悪いことじゃないと思いもしつつ書いていることですが。世の中には気にしなきゃならない由々しき問題は色々あるあけだし、追いたくても追えないままならない事情というモノが運的な要素によって不平等に訪れる部分があるのも人の世という気がするので。まあ、単純に言えば価値観って様々だしーってことかも知れないっすね。ちなみに、「おいしい」っていう言い方があるけど、完全に化学調味料の世界だと思います。くれぐれも必ずしも批判ではないのでそこはお願いしますと断りも入れつつ。)市野さんの音楽に触れると、カタルシスを得られずに、あれー??ってなっちゃう人はそうなのかもなーと思う。でも寧ろ「リアル」なのはどっちでしょうねっていう意味では、あーこの人は「アーティスト」だなーと思ってしまう。こういう時代に「しみじみと物事に向き合い続ける切磋琢磨」という、そういう方向性に可能性を見出そうとし続けてることの価値を音楽を通して世の中に認めさせる難しさっていうのは、今の時代に敢えて「音楽」、という意味の上からももの凄い険しさを伴ったものなのかも知れないと思ったりもする。(音楽の持つ「さりげなさ」のポテンシャルというものも勿論あると思うけど、そこだけを強みに出来る時代は過ぎているのかもなーと今更のように改めて思ったりもしつつ。)んで、勿論というべきか、世の中でエンターテナーをやろうと思えば全然やれる技もありながらのアーティストなので(というかアーティストって本来はそうなんじゃないかと思ったりもするんだがそこからして蔑ろにするスタイルがまかり通ってしまった時代を経ているわけで混沌の状態は凄まじいものがありつつ、だからこその、例えば、市野さんが現在進行形で選んでいる音楽スタイルっていう側面もきっと少なからずあるんじゃないかという気もします。)頭が下がる思いもあるし、多分今後も含めたじんわりと長い期間を通して触発され続けるだろうモノを受け取らせて頂けそうなのである。時代の要求する良い音楽とは光の当たる角度や加減次第で様々に別の表情を見せる有機的で多面的なものであると思うし、しかし、その創造の道はきっと恐ろしく険しいのだろうなと思う。擬科学的だったり擬哲学的だったりする比喩を自身の音楽を説明するために持ち込まない部分も(そういうプレゼンテーションが流行りまくってしまったあまり好ましからぬ風習《モダンとかポストモダンとかアバンギャルドとかニューエイジとかの世界もおもしろなーと感じたりする僕もいるんだけど、その辺を超えた意味でも、どうして市野さん達の音楽に僕が惹かれるかと言えば、やっぱり誠実さを感じるが故という気もする。まあ、ある種僕自身の無い物ねだりなのかも知れないなーと最近少し思うに到りつつ。》があるように思える現状のなかで、そういう態度を貫くことの不利益への覚悟たるや如何ばかりなのでしょう)結局僕は安心感を感じるのかも知れないと思うし、より大きな普遍性への(自然な)到達を願いたくなるのです。
まとめ)
いいっすよ、このアルバム♪
そしてここまでにも書いたように、「ライブにこそ真価が。」ってことで、アルバムリリースライブも含めて以下もご参考に。
motohiko ichino
素晴らしいです。
僕はガンダムはあんまり知らないというかもはや興味の持ちようもない気もしつつ、映画各論やCGやITに対しての見解もちょっと理解しにくい部分もありつつ(否定ではなくトータルバランスとして違和感を覚える気もしつつ僕の理解力の問題や趣味嗜好の話もあるのかも知れないと思いつつ、です)、仕事論人生論的な意味では激しく感服です。相当に身に染みる意味であまりにもホントのことがここでは語られていると思う。
成功した人がこういう話をするのは迫力があるし、正直にこういうことを語れる生き方も凄い。
前エントリーの追記の2番目の記事とかにもあるようにYouTubeだなんだに成り代わろうとかって言う話ではないとないんだろうとおもいますが、(ユーザー視点で言っても最
初の記事とかにあるようなYouTubeとかの方には既に遙かに充実したライブラリーがあるし違法とか何とか問題にならないフィールドも事実上出来上がっ
てるし遅すぎでしょっていうのも確かにあるわけで)止まらない流れに参加しないわけにはいかないとかつてはRadio Starを殺す立
場の象徴で天下無双の一時代も築いたかも知れないMTVが、生き残りを掛けた勝負に打って出たという側面も小さくないんじゃないかと思います。この目論見
が成功してMTV的な次のチャンスの萌芽に繋がっていくのかとかその辺は僕には全然分からないけど、下から二番目の記事にあるような「同じ様なチャレン
ジ」は他にも沢山計画されているわけで、全体の流れとしては向くべき方向がどっちなのかと言うことに対して如何にいつぞやの(今現在も含めて)時代のビッ
グネームであろうとも耳を傾け続ける真摯さが保たれるような社会構造になっているのがアメリカという国だということなんだと思います。大雑把な言い固すぎ
て語弊も色々あるかも知れないですが、こういうシビアだけどフェアな勝負が行われているアメリカはそれ故に自然発生的な新陳代謝が行われている国だと思う
し、自然発生的なテクノロジーが次の時代へと社会を押し進めさせようとすることに対して人為的なボトルネックがあまりにもありすぎて前後不覚な状態へと国
民の少なからずを迷い込ませてしまっている(と思いたいワケじゃないけど、それ以外どう受け止めれば良いのか分からない様な意見がホントあちこちに渦巻い
ていると感じてしまう)どこかの国よりはやっぱり結局だいぶマシな気もしてしまう。
例えば流行の(?)スティーブジョブス的なやり方をいくら研究したところで日本の社会でやっていくにあたっては参考にならないというのは、残念ながらホントのところだと思う。なぜなら社会の構造が違いすぎるので。
民主主義や資本主義の世の中で結局大事なのは社会をどう作っていくかということに対しての「大人達」の真摯というかバランス感覚のあるというかクールとい
うか、な取り組みなのであって、大人というのは政治家や企業のお偉いさんやなんかのことだけではなくて結局僕たち全員なんだと思う。だから、ジョブスのや
り方を見てどうこうとか言っちゃってるのはお笑いぐさでしかない場合も少なくないのかも知れない。ラッキーな社会のラッキーなヤツのやり方をアンラッキー
(というのはジョブスに憧れる視線から見ればという意味で、です。そこら辺アシカラズ。)な社会のラッキーなのかどうか全く不明瞭な不特定多数が真似よう
とするのは宝くじ攻略法を研究するような生き方に近いというか。そもそもジョブスがラッキーなのかどうかも怪しい気もしますが。
あるいは、極端な話として、今回の金融不安でアメリカ式の(?)資本主義の終焉とかなんとかっていう意見も聞こえてくることがあるけど、ホントになし崩し
にそんなことが起きたら僕らの生活はかなり悲惨なことになるんじゃないかと思う。もしくは「終焉」というのが「乗り越えて次のステップに入る」というニュ
アンスならば、民主主義や資本主義を未だ余り上手く消化して来れていない日本の方がアメリカよりも遙かに分が悪いという話であって、民主主義や資本主義が
人類の悠久の歴史の果てに必然として生まれたシステムであることを学んだ方がよいのではないかと思う。いや、かく言う僕も全然勉強出来ていないし、そのや
ばさに今頃気づいて泡食っているのですが。
西洋対東洋とか日本とかいう視点で、こちら側の良さが問われる時代になってきているという意見もあるけれど(それは純然たる日本人たる僕としてもとても共
有したいし、意味することもどこかでは激しく頷ける、頷きたい意見ではあるけれども)、手放しにそれを言うのはもの凄く危うい意見じゃないかと思う(に僕
は今のところ到っている)。歴史の必然の流れを理解出来ていない、未だに受け入れられていない日本の大人が決して少なくもないことはちょっと見逃せない事
態になってきているのではないかなと怖い気もしたりするのです。本当に世界に示せる日本の良さがあるのならば、それが活かせるのはちゃんと時代の潮流に乗
れて乗りこなせるだけの基礎体力を身につけるための環境を僕らの国がもう少しまともに整備出来てからでしかないんじゃないかという気がします。
歯がゆい話だが、例えば確実に今の時代を創っているIT技術の土台はやっぱり(ある意味では全て、完全に、)西洋社会というか文化というか文明というかに
あるわけで、科学技術も政治体系もおおよそ現代的なものほとんどは然りなのであって、まず僕らはその辺のハンディキャップを意識しないと勝負の土俵にすら
上がれない歯がゆさを知らなきゃいけない時代に生きている様な気もします。(そういう意味ではこれまた例えば、太平洋戦争が何だったのかということへの理
解についても僕らの社会は未だに上手く総括出来ていないのかも知れない。)ある意味、生まれついての西洋人の大半が実はあまり理解していないかも知れない
かも知れない西洋的な何事かについて僕らは意識的にならざるを得ないのかも知れない。そういう意味ではホントにタフさを要求されるのかも知れないわけだ
が、そこにこそチャンスもあるというか、そこに気づかないとチャンスはないのかも知れないという気もします。まあとにかく、そういうのが変に概念的な話と
してばかりではなくて謂わば「ノリ」としてもうちょっと色々な形で幅広く共有される状況が生まれてくると日本はまた元気になると思うし、そうじゃないと元
気になり得ない気もする。
「もういいじゃん」ではなくて「実はやっとこれから」だという空気が必要なんじゃないだろうか。
まあ、僕もだいぶへたれだと自覚してますが、取りあえず精進したいものです。
思わず長くなってしまった・・・!
やっぱり前エントリーの内容は間違えではないみたいです。なぜか正式なアナウンスメントに出会えないのですが(ってこの話題だけを追っていなくて、今のところ積極的に探してもいないのですが)こんな投稿もありました。
この人は興奮気味に
とまで言っています:-)This proves it - Television is Dead. Internet Killed the TV Star.
MTVでさえもが(個人的にはAPIの公開も含めて暢気に感心しちゃっているのですが)ここまでやれる状況になってくると日本の諸々の状況の遅れがますます気になってしまう。下手すると周回遅れじゃ済まなくなるのでは。まあ、こういうムードに後押しされて日本も変わっていったりもあるのかもだけど。
この件だけに限らず最近(個人的な切迫感も含めて)思うことですが、この先は、(取りあえず)そこそこの英語力とそこそこのIT技術への理解力は切実に必要にな時代の方向へとますます雪崩打っていきそうな気もしています。僕はどっちもまだ全然ダメなので毎日大変!がんばりまうす。
追記)
レポートありました。
MTV Music: Hulu for music videos, or too little too late?(ちょい辛口・懐疑的)
MTV: Just Ignore That Nice New Video Site We Rolled Out Yesterday(MTV視点的な戦略について)
Goodbye, Productivity: MTV Music Site Posts Every Music Video Ever(絶賛)
MTV Returns to Music Videos (on the Web)(周辺事情も織り交ぜながら書かれていて面白かった。全然この話題詳しくなかったので。)
MTV Launches A 'Hulu For Music Videos'. Can It Steal YouTube's Viewers?(ひとつ上の記事によるとやっぱり最初にまともに記事にしたのはここだけだったらしい。ずーっと前からビデオサイトやりますーって言っててなかなかやれずに昨日いきなり静かに始まったということらしい。)
*低レベルな英語力で斜め読みしただけなのでコメントはいい加減です。
こちらではすごく久しぶりになってしまいました。取りあえず色々ありつつ(まあそれは生きていれば当たり前)元気なわたくしです。
自前でblogというかマイサイトというかを準備しつつすでにエントリーを重ねていたりもするとかしないとかだったりもするのですが、デザインと機能両面でまだ未完成すぎるのでもうちょっと形になったらここでも紹介します。既に気づいてしまった人は見て見ぬふりでこっそり覗いていてください。
ところで最近(遅まきながら)Tumblrにはまってしまっていたりもします。どういうサービスなのかはリンク先を参照して頂きたいと思いますが(英語分からないし他の意味でもよくわからんとかって人は質問してくんなはい)、利用してみて色々な意味で驚きまくりで(正直ある視点では今までに触れたwebサービスの中で一番衝撃的かも知れない。)、色々と思うところも勿論ありはしつつですが、個人的には今までに味わったことのない感覚もそこに伴っていることを感じつつworld wide webを改めて感じているかも。楽しさとか(今までの尺度からしたらもしかすると考えられないほどの)便利さも感じつつ、怖いものも感じるような一言ではなんとも言いにくい感慨を感じているのかも知れない。(ホントにあくまでも個人的な感想なのでそこのところは悪しからず)研究対象としても(だいぶ)興味深いです。
まあともかくも、そんなわけで良かったらチェックしてみて下さい。時間のある方はご自身でも開設なさってみてはいかがでしょうか。(取りあえずの意味ではホントにさくっと始められます。)人のものを眺めているだけではなくて自分でもやってみると肌感覚で感じられるものが全然違うかもです。グローバルかつカジュアルな感覚でweb上のほぼあらゆるコンテンツを世界中の不特定多数と共有出来るこの史上最強のスクラップブック感覚はヤバイです。とか言うとそんなサービスって今までにも他にいくらでもあるじゃんとか思われるかもですが、カジュアルさと使い勝手の良さのせいで凄くバランスが面白いサービスになっていてそのせいでかつてない「共有感」を世界中のユーザーにもたらし得ることに成功している部分もある様に(現時点では)思うと言うことは言ってみておいてみます。
始めた方や既にやってる方は宜しければあなたのtumblog(?)を教えて下さい:)
久々だし他にも色々書きたい話題もあるのですが、取りあえずそれはまた別のエントリーで追々させて頂くことにします。